社会保険の手続き中に退職したら?会社側がとるべき対応と注意点を専門家が解説

従業員の社会保険手続きを進めている最中に、まさかの退職の申し出…。「加入手続きと退職手続き、どっちを優先?」「保険証も届いていないのにどうすれば?」こんなイレギュラーな事態に、頭を抱えていませんか。ご安心ください。

この記事では、人事労務の専門家である社労士が、このような特殊ケースで会社が取るべき対応を、実務的な視点から徹底解説します。複雑に思える手続きも、ポイントさえ押さえれば大丈夫。社労士事務所altruloopが、貴社の不安を解消します。

目次

まず確認!退職の申し出は「資格取得届」の提出前後どちらですか?

この問題に対応する上で最も重要なことは、退職の申し出があったタイミングが、年金事務所や健康保険組合へ「被保険者資格取得届」を提出する前か、後かという一点です。

なぜなら、社会保険(健康保険・厚生年金保険)の加入は、法的には従業員の入社日に自動的に成立しているからです 。会社が行う「資格取得届」の提出は、加入を申し込む「申請」ではなく、すで発生した「入社(加入)」という事実を届け出る「届出」行為なのです。  

この「届出」を提出したかどうかで、行政側がその従業員の加入を把握しているかどうかが決まります。したがって、その後の手続きが大きく二つに分かれるのです。

ケース1:資格取得届を「提出する前」に退職が決まった場合

年金事務所はまだその従業員の存在を把握していません。この場合、手続きは比較的シンプルです。社会保険(健康保険・厚生年金)に関する行政への手続きは、原則として不要になります。

ただし、これはあくまで健康保険と厚生年金保険の話です。雇用保険は別途、手続きが必要になる可能性が高いため注意が必要です。この点は後ほど詳しく解説します 。  

ケース2:資格取得届を「提出した後」に退職が決まった場合

すでに行政側で加入の記録が作成されているため、その届出を「なかったこと」にはできません。

この場合、「資格取得の手続き」を完了させた上で、続けて「資格喪失の手続き」を行う必要があります。具体的には、「被保険者資格取得届」に加えて「被保険者資格喪失届」も提出します。

このように、同じ月内に資格の取得と喪失が発生することを「同月得喪(どうげつとくそう)」と呼びます 。  

※「同日得喪」との違いに注意
「同月得喪」とよく似た言葉に「同日得喪(どうじつとくそう)」がありますが、これは全く別の制度です 。同日得喪は、主に60歳以上で定年退職した従業員を、給与を下げて再雇用する際に、社会保険料を新しい給与に合わせて速やかに引き下げるための特例措置です 。今回のケースとは関係ありませんので、混同しないようにしましょう。  

そもそも社会保険への加入は本当に必要でしたか?

念のため、退職した従業員がそもそも社会保険の加入要件を満たしていたかを確認しましょう。週の所定労働時間や雇用契約期間などが加入基準に達していなければ、手続き自体が不要なケースもあります。

社会保険の基本的な加入要件については、こちらの記事で詳しく解説していますので、ご自身のケースが該当するか不安な方はご参照ください。 社会保険はいつから加入が必要かについては、こちらの記事を参考にしてください。

【ケース別】会社側が取るべき具体的な手続きフロー

それでは、「資格取得届」の提出タイミング別に、会社が取るべき具体的な手続きを解説します。

「提出前」の場合:事実上、加入手続きは不要です

資格取得届を提出する前に退職の申し出があった場合、社会保険(健康保険・厚生年金)に関する行政手続きは発生しません。しかし、社内でやるべきことはあります。

テップ1:全ての関連書類の作成・提出を中止する

まず、作成途中だった「被保険者資格取得届」を破棄し、誤って提出しないように徹底します。

ステップ2:社内記録を整備する

短期間で退職に至った経緯、および社会保険手続きを行わなかった事実を、社内記録として明確に残しておきましょう。これは、後のトラブル防止や内部監査のために重要です。

ステップ3:退職者へ明確に通知する

退職者本人に対し、「貴殿は在籍期間が短かったため、当社の健康保険・厚生年金には加入しておらず、保険料の控除も発生しません」という旨を、書面等で明確に通知します。これにより、退職後に「保険証が届かない」「保険料はどうなっているのか」といった問い合わせが発生するのを防ぎます。

ステップ4:雇用保険の手続きは別途進める

繰り返しになりますが、雇用保険の手続きは必要です。雇用契約の内容が加入要件を満たしていれば、たとえ1日の勤務でも加入と喪失の手続きが義務付けられています 。この手続きを怠らないようにしてください。  

「提出後」の場合:取得と喪失の「同月得喪」手続きを行います

資格取得届を提出してしまった後は、記録を正しく閉じるために「資格喪失届」の提出が必須です。これを「同月得喪」の手続きと呼びます。

ステップ1:「被保険者資格喪失届」を準備する

これが最も重要な作業です。退職の事実が発生したら、速やかに「健康保険・厚生年金保険被保険者資格喪失届」を作成します。

ステップ2:資格喪失届の重要項目を正確に記入する

同月得喪の手続きでは、資格喪失届の書き方に特有のポイントがあります。特に以下の項目は間違いのないよう、慎重に記入してください。

項目記入内容実務上のポイント・注意点
資格喪失年月日退職日の翌日これは社会保険の基本ルールです。例えば4月25日退職なら、資格喪失日は4月26日となります 。  
喪失原因「4. 退職等」 を選択し、カッコ内に退職日を記入喪失理由を明確にするための必須項目です。正しく選択してください 。  
備考「3. その他」 を選択し、カッコ内に「加入員の資格同月得喪」と記入これが最も重要なポイントです。この一文を記載することで、年金事務所の担当者が「同月得喪」のケースだと即座に認識し、適切な処理を行ってくれます 。  
保険証回収枚数回収した枚数を「添付」欄に、回収不能な枚数を「返不能」欄に記入保険証が発行される前であれば「0」と記入します。もし発行・交付済みの場合は必ず回収が必要です 。  
ステップ3:管轄の年金事務所へ提出する

作成した「被保険者資格喪失届」を、事業所の所在地を管轄する年金事務所または事務センターに提出します。資格取得届の処理状況によっては、両方の届を同時に窓口へ持参して事情を説明するのが最も確実です。電子申請(e-Gov)での手続きも可能です 。  

健康保険証が発行・使用されてしまった場合の対応

手続き中に退職するケースで最もトラブルになりやすいのが、健康保険証の扱いです。

シナリオ1:保険証が発行されたが、未使用の場合

保険証が会社に届いた、あるいは従業員に渡してしまったものの、まだ医療機関で使っていないケースです。この場合は、退職日までに必ず本人および被扶養者分をすべて回収してください 。退職後に会社に届いた場合は、速やかに本人に連絡し、簡易書留など記録が残る方法で返送してもらいましょう。回収した保険証は、資格喪失届に添付して返却します。  

シナリオ2:資格喪失後(退職日の翌日以降)に保険証を使用してしまった場合

これは非常に厄介な状況です。資格喪失後に保険証を使うことは「無資格受診」となり、保険者(協会けんぽ等)が負担した医療費(7〜8割分)を返還しなければなりません。これを「不当利得の返還」と呼びます 。  

この場合の対応フローは以下の通りです。

  • 保険者からの返還請求:後日、保険者(協会けんぽ等)から、会社経由または直接本人宛に、負担した医療費の請求書が届きます 。  
  • 本人による返済:従業員は、その請求額を保険者に支払わなければなりません。
  • 会社から退職者への書類提供:会社は、退職者に対して「健康保険資格喪失証明書」を発行します。
  • 退職者による療養費の申請:退職者は、支払った医療費の領収書と「資格喪失証明書」を、退職後に加入した新しい保険者(国民健康保険など)に提出し、「療養費」として払い戻しの申請を行います 。  

会社の役割は、この複雑なプロセスを退職者が理解できるよう丁寧に説明し、速やかに資格喪失の手続きを進め、必要な証明書を発行してサポートすることです。

社会保険料の徴収はどうなる?給与計算の注意点

短期間の在籍であっても、保険料の徴収はトラブルの元になりがちです。「数日しか働いていないのに、なぜ1ヶ月分も引かれるのか」という疑問は当然です。

保険料が発生するケース・しないケース

ケース1:資格取得届を「提出する前」に退職

社会保険に未加入のままなので、健康保険料・厚生年金保険料は一切発生しません。

ケース2:資格取得届を「提出した後」に退職(同月得喪)

加入記録が成立しているため、1ヶ月分の健康保険料・厚生年金保険料が発生します。社会保険料は日割り計算されず、月単位で計算されるのが原則です 。  

給与から保険料を控除してしまった場合の返金対応

「提出前」のケースで、誤って給与から社会保険料を天引きしてしまった場合は、速やかに本人に全額を返金する必要があります。給与の再計算を行い、訂正後の給与明細を発行した上で、差額を銀行振込等で返金しましょう。

退職者への説明でトラブルを防ぐコミュニケーション術

同月得喪で保険料が発生する場合、特に給与支給額が少ないと、保険料が給与を上回ってしまうことさえあり得ます 。このような事態を避けるため、以下のコミュニケーションを徹底しましょう。  

  • 早期に、具体的に伝える:同月得喪となることが確定した時点で、概算の保険料を計算し、「法律の定めにより、約〇〇円の社会保険料が1ヶ月分発生します」と退職者に事前に伝えます。給与明細を見て初めて知る、という状況は絶対に避けるべきです。
  • 理由を丁寧に説明する:「社会保険料は日割りではなく月単位で計算されるため、たとえ1日の在籍でも1ヶ月分の保険料がかかる」というルールを、冷静に、かつ丁寧に説明します。
  • 不足分が発生する場合の徴収方法を明確にする:給与から保険料全額を控除しきれない場合は、不足分を本人から徴収する必要があります。振込先の口座情報と支払期日を明記した通知書を作成し、退職時に手渡すか、郵送で送りましょう。

【専門家からの補足】厚生年金保険料の還付について

同月得喪には、厚生年金保険料に関する少し複雑なルールがあります。同月得喪で退職した従業員が、同じ月内に次の会社で厚生年金に加入した、あるいは国民年金に加入した場合、先に支払った厚生年金保険料は後日、年金事務所から還付(返金)されます 。  

ただし、健康保険料にはこの還付制度はありません。また、還付手続きには時間がかかります。実務上の対応としては、まずルール通りに厚生年金保険料を徴収し、その上で「もし同月内に次の年金制度に加入された場合は、後日年金事務所から保険料が還付される可能性があります」と情報提供してあげると親切です。

よくある質問

Q. 雇用保険の手続きはどうなりますか?

A. 雇用保険は、社会保険(健康保険・厚生年金)とは全く別の制度として手続きが必要です。原則として、「週の所定労働時間が20時間以上」かつ「31日以上の雇用見込みがある」という契約で雇用した場合、たとえ1日で退職したとしても、加入手続き(資格取得届)と退職に伴う手続き(資格喪失届)の両方が必要です 。  

また、退職者が希望する場合には、失業手当の受給手続きに必要な「離職票」を発行する義務があります 。短期間の加入であっても、その後の職歴と通算して失業手当の受給資格を満たす可能性があるため、会社としては適切に対応する必要があります 。  

Q. 短期間で退職した従業員の社会保険履歴は残りますか?

A. はい、残ります。「同月得喪」の手続きを正式に行った場合、その従業員の年金記録には、「〇年〇月〇日にA社で健康保険・厚生年金の資格を取得し、同月〇日に資格を喪失した」という履歴が明確に記録されます 。逆に、資格取得届を提出しなかったケースでは、貴社での社会保険加入履歴は残りません。  

Q. 手続きが遅れるとどんなペナルティがありますか?

A. 正当な理由なく社会保険の加入手続きを怠った場合、厳しい罰則が科される可能性があります。これは、会社が法律上の義務を果たしていないと見なされるためです。

  • 最大2年分の保険料の遡及徴収:従業員負担分も含めて、会社が立て替えて支払う必要があります 。  
  • 延滞金の発生:納付が遅れた日数に応じて延滞金が加算されます 。  
  • 罰則:悪質なケースでは、健康保険法に基づき「6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金」が科されることがあります 。  
  • 求人への影響:ハローワークでの求人申し込みが受理されなくなる場合があります 。  
  • 損害賠償リスク:従業員が将来、年金受給などで不利益を被った場合、会社に対して損害賠償を請求されるリスクもあります 。  

Q. 相談できる窓口はどこですか?

A. 手続き書類の具体的な書き方や提出方法については、管轄の年金事務所や加入している健康保険組合が直接の窓口となります。

ただし、「自社のこのケースでは、法的にどう判断すべきか」「退職者とのトラブルを未然に防ぐにはどう伝えればよいか」といった、より個別的・戦略的な判断に迷う場合は、人事労務の専門家である社会保険労務士(社労士)に相談することをおすすめします。

まとめ

社会保険の手続き中に従業員が退職するという事態は、慌ててしまいがちです。しかし、重要なのはまず「資格取得届を提出したか、否か」というタイミングを確認すること。この一点を明確にすれば、その後の対応はスムーズに進みます。この記事で解説したフローに沿って、一つずつ確実に対応しましょう。もし、個別の事情が複雑で判断に迷う場合や、手続きに不安がある場合は、私たち専門家にご相談ください。

社労士事務所altruloop(アルトゥルループ)では、全国対応・初回相談無料でご相談を承っております。人事労務に関するお悩みはお問い合わせよりお気軽にご相談ください。

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監修者(社労士)

社会保険労務士(社労士事務所altruloop代表)
労務管理・人事制度設計・法改正対応をはじめ、実務と経営をつなぐ制度づくりを得意とする。戦略コンサルファームでは新規事業立ち上げや組織改革に従事し、大手〜スタートアップまで幅広い企業の支援実績あり。
現在は東京都渋谷区や八王子を拠点にしている社労士事務所altruloop(アルトゥルループ)代表として、全国対応で実務と経営の両視点から企業を支援中。

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